C子さんのお別れ会
今日はC子さんのマンションでお別れ会。
今日の日に備えて、お部屋に飾るために、C子さんの写真をプリントし、
C子さんにいただいたフェルト作品を用意し、C子さんお手製のスイーツ写真の
アルバムを作りました。全てがC子さんに向き合える時間でした。
久しぶりにJRに乗って通いなれた堅田駅前のC子さんのマンションへ。
お部屋に入ると、そこは以前C子さんが住んでいたままのしつらいが。
というのも全て片付けてあったお部屋を、Mさんがお別れ会にそなえて
写真をみながら、みんなが知っている部屋に戻してくれていたよう。
誰もがC子さんと過ごした時間を思い出せるような空気感をつくってくれていました。
Mさんは、フェルト作家C子さんの良き理解者として最後まで並走し、姉妹のように
分かり合えた人だから。C子さんや部屋を訪れる人の思いを組み、ここまで
してくれたことに頭が下がります。
あちこちにお花、C子さんの作品、写真が飾られていて、絶妙な飾り方で
C子さんの世界が広がっていました。
台所も以前のまま。今もC子さんがそこにいるように思えてなりません。
器も当時のままの器で本当に懐かしく、「ああもういちどここに来たかったんだ」
と改めて、ここに来れたことに感謝。私がいただいた作品たちも、里帰りとして
和室に飾らせてもらいました。
お部屋には、C子さんと一緒に直島へ行かれた方々、C子さんが陶芸やフェルトを始める
きっかけを与えた方、お店の方などC子さんと深い関係にあった方々が次々に来られ、
お話することで、私が知っている時代も、知らなかった時代も、C子さんについて
より深く知ることができました。それぞれC子さんのことが大好きな人が集まったか
らこそ、お話を聞いていて、とても楽しい時間でした。
C子さんの器でいただく、キンパ、手作りレモンケーキもとても美味しかったです。
ごちそうさまでした。
お昼から、写真、手紙、ポストカードの整理をさせてもらいました。
懐かしいC子さん、若かりし頃の笑顔のC子さんに会えてとても嬉しかった。
ハガキもずっと大事に残してくれていて、その時代を思い出すことができました。
どこかに行った際にはいつもC子さんにポストカードをお土産にしていたことを
思い出しました。束の中から、思い出のポストカードもたくさん出てきました。
寂しいけど、悲しいけど、気持ちの置きどころができたことで、前へ進める。
寂しくなれば、またみんなで集まってC子さんの思い出話をすればいいんだ!
そう思える貴重な時間でした。
家に帰って、形見分けでいただいた器と前から家にあるC子さんの器を組み合わせて、
C子さんの好きだった鯖寿司をいただきました。
いつもこの市松模様のお皿でもてなしてくれました。時には薬味入れ。時には箸置きに。この器はC子さん制作ではなかったのですが、ごちそうの思い出に。
今日は、C子さんを身近に感じながら過ごせたように思います。
Mさん、本当にありがとう。C子さんも「みんなに会えて嬉しかった、ありがとう」
と呟いているように思います。
やっぱりC子さん人形、さいこー!!
東山魁夷唐招提寺御影堂障壁画展へ
今日も雨。チケットをいただいたので
10年以上の歳月をかけて描かれた障壁画は、とても静かで深かったです。
常設展でフランシスザビエル画の実物も特別展示されているということで
そちらも見て帰りました。教科書やあちこちで見る、有名なザビエル画。
歴史の重みを背負った絵を見れて感激しました。
お昼は近くにあるグリル十字屋さんへ。ハヤシライスをオーダーしました。
玉ねぎが甘くて、とても美味しかったです。
緊急事態宣言下、心なしか歩いている人も少ないです。
せっかくなのでコーヒーを飲んで帰ろうと、三宮駅近くの珈琲店へ。
お店は私一人の貸し切り状態でした。たくさんあるコーヒーカップの
中から、鳥のかわいい絵柄のコーヒーカップをセレクトして、
ハンドドリップでコーヒーを入れてくれました。
書類を読もうとしたのですが、BGMの音があまりに良すぎて、聞きほれてしまい、
書類に集中できませんでした。聞けば、イギリス製のとても良いスピーカーで、
なんとかかっていたのはレコード盤でした。
ヘンデルのラルゴ「オンブラマイフ」のチェロ(バイオリンかもしれない)
の音が心に突き刺さりました。静寂の中で聴けたから余計に感動したのかも。
あまり詳しくない私が聞いても、すごく良い音質に聞こえるので、
詳しい人ならなおさらかも。
ざわざわした人の心を癒してくれるのは、音楽が一番かも知れない。
さようならC子さん
5月14日にC子さんがお亡くなりになったと連絡をいただきました。
気持ちが大きく揺さぶられる中、とにかく仕事に集中して、普段はめったに
定時で帰らないけど、今日は定時に退社しました。
何かしてあげたいけど、何もしてあげられない。お通夜に行ける訳でもない。
お葬式に参列もできない。お線香もあげられない。もどかしい気持ち。
ふわふわして何も手につかないので、帰りに花屋へ寄って、蘭、トルコキキョウ、
コデマリで花束を作ってもらい、自分の部屋に飾りました。届けC子さんへ。
C子さんとの出会いは、社会人になって2年目くらい。もともとH子さんのお友達で
S社のY店によく来てくれていて、仲良くなりました。
突然ふら~っと「H子さんいる?」と通路上に現れるC子さん。それから
かれこれ25年ほどのお付き合い。出会った頃は陶芸もされていて、いただいた
C子さんお手製の陶芸作品は、今も愛用しています。
C子さんは、食べることも大好きで、美味しいお店をたくさん知っていたし、一緒に
色々な場所に出かけた思い出があります。お菓子作りが得意で創作スイーツをたくさん
ご馳走になったなあ。井上陽水のファンだったなあ。鯖寿司も好きだったなあ。
C子さんは誰からも好かれて、友人も多くて、人と人を自然に繋げてくれるような人
でした。
ここ15年くらい、難病と闘いながら、フェルト作品づくりに取り組んでおられ、
そのセンスの良さからたくさんの作品が生み出されていきました。
私は沖縄へ引っ越す際に、湿気でフェルト作品が劣化しないように、実家に置いて
いったので、手元に作品はないけれど、かわいいだけでなく、C子さんらしい
にやりとできるような作品が多かったです。自宅に遊びに行くと次々に新作を見せて
くれ、服や帽子などはご自身で着用して見せてくれたのが記憶に残っています。
最後に会ったのは、3年ほど前。病気がかなり進行した頃。大津の病院へ行きまし
たが、かなり細くなって、窓に顔を向け、ただ横たわって眠っているC子さんの姿に、
話もできず、見守るだけしかできない静かな時間だったことを覚えています。
そのまま私は沖縄へ異動。コロナ禍でなかなか会いに行くこともできない中、
今回の急な訃報を聞き、残念でたまりません。
でも、C子さんが懸命に病気と闘い続けて来られたことを思えば、今はただ
その頑張りを称え、お疲れ様でしたと言いたいです。
そして、たくさんの思い出と多くの人とのご縁を残してくれたことに本当に
感謝の気持ちでいっぱいです。
このブログにもC子さんとの思い出がたくさん残されています。
ニヤリと笑ってくれる何気ないC子さんとの会話が思い出されます。
コロナが落ち着いたら、滋賀に行きますね。みんなでC子さんのこと語りたいです。
C子さん、本当に本当にありがとう。ゆっくり休んでくださいね。
ちろりで家呑み
祖父の残したちろり。母から譲り受けました。
祖父は四国で呉服屋をしていましたが、早くに亡くなり、
私は会ったことがない。優しい人だったから、
生きていたら孫をすごく可愛がってくれただろうと母は言う。
外呑みができない今、このちろりで家呑みしました。
熱燗でまろやかな味になりました。
このちろり、よく使われていたのか少し変形しています。
祖父はどんな酒の肴で、どんな器でお酒を楽しんだのかな?
想いを馳せながら。
私は、酒の肴は地元のものを少しずつ味わいたい。
地方の居酒屋でその土地のお酒を飲みながら、少しずつ美味しいものを食べる
そんな呑み方が好きだなあ。早く、そんな旅行が再開できますように。
祖父もあゆの塩焼きは食べただろうか。
あとは、お茶漬け食べて寝ます。
26年間お世話になりました!
個人契約のPHSサービスが1月31日で終了する。
思えば、昭和の遺産ポケベルの後、PHSを契約した。
機種変更しながら、PHSを使い続けてかれこれ26年。
ここ10年ほどはスマホ、ガラケー(会社用)、PHSの3台を持ち歩き使い続けていた。
PHSは、災害時でも通話がつながりやすく、重宝していました。
26年分のアドレス帳には、今は連絡のとれない人の連絡先も入ったまま。
その時に住んでいた場所のお気に入りのお店や、お世話になった病院、一緒に
働いていた上司や同僚の連絡先などなど。
改めて、自分の歴史であるような。。。
長期ユーザーとして、最後の最後の日まで使い続けます。
PHSの中に入っていた懐かしい写真たち。