初めての沖縄旅行 1日目
9月15日〜17日に台風15号が接近の中 2夫婦で沖縄へ旅行に行ってきました。
もう一組の夫婦は旦那が大学・元会社と一緒の親友の夫婦で嫁同士は初めての対面。
旦那と嫁は独身時代から良く知っていたので重い腰の嫁も旅行に参加しました。
旅行社からは 「行きは飛行機が飛ぶが帰りはたぶん台風が沖縄直撃で飛ばない
だろう」と言われていたのですが沖縄についてみると台風がUターンしていまい
ました。
親父の日ごろの行いが良いためと勝手な解釈!!!
嫁と二人で行く旅行はほとんど記憶がないのに「台風接近・・・雨男や」と嫁に
行く前は言われていたが本当に台風が気を使ってくれて傘を差すことがない旅行に
なりました。
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<出発時の伊丹空港> <着陸前の沖縄(ひめゆりの塔付近)>
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伊丹から那覇へは 約2時間で着きその後レンターカー屋へ・・・空港ではレンタカー屋
各社のバスが来ていてビックリ! 沖縄はレンターカー屋のドル箱の場所のようでした。
ツアーには元々レンタカーが付いていたのですが 奈良のCEOさんが「アルファード」を
指定「自分で乗っている車なので運転は俺がすべてする」という事で別料金で借りこと
になりました。ニッポンレンタカーで置かれていたのはわずか2台でした。
親父はそれならずっとビール(オリオン)が呑めるなと思いましたが夫婦で着ていたので自粛。
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<那覇一番の牧志市場内食堂> <食べた海鮮丼とソーキそば>
<売られていた名物サーダーアンダギー> <派手マンゴが一杯の果物屋>
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<首里城の入口 守礼門> <首里城の王宮殿>
<御差床(うさすか)王の椅子> <ひめゆりの塔の慰霊碑>
<<参照>>
「ひめゆりの塔」
終戦末期の1945年3月、沖縄師範学校・沖縄女子高校の
女子生徒中心に240名を陸軍病院の看護要員として従軍。
戦局が激しくなると5月には病院を地下壕にへ移動。
絶望的になると軍は解散命令を出した。
指示なく地下壕に取り残された240名はそれぞれが
いろんな形で死んでいき 生存者は僅か5名といたたましい事件。
この碑の前の穴が地下壕に入るところで深さは10m近くあった。
沖縄のみが実際に米軍の直接攻撃を受けこのような悲惨な
事件があちこちであった。
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上はひめゆりの塔公園内にある「ガジュマロ」で流石南国に来たと感じました。
初日の予定は牧志市場→首里城→ひめゆりの塔と天気の良い間に行きたかった
ところを観光できました。次の日は下手すると台風でホテルから出れないと
思って北部の名護のカヌチャベイH&リゾートへ向いました。
カヌチャベイHは流石に最高のホテルで嫁もビックリしていました。
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<ホテルのベランダからの景色> <浜が前の部屋のジャグジー>